paper boat
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 最初次のページへ >>

荒俣宏『知識人99人の死に方』

死んだ知識人だけがよい知識人――ってことはないでしょうが、とりあえずこんな本を買いました。

荒俣 宏
知識人99人の死に方

文庫版の表紙は虫の標本が整然と並んでいるもの。画像が出なくて残念。

99人分も入ってるわりには薄くて持ち運びに便利なのですが、タイトルが人目を引く。

ぱらっと見た感じでは山田風太郎「人間臨終図巻」への言及はないみたい。


山田 風太郎
人間臨終図巻〈1〉

澁澤龍彦の死に方については何度も何度も読んだ気がする。

荒俣氏はその決して弱音を吐かない意気地みたいなものについて「昭和一ケタ」という言葉を使っていて、なるほどと思った。

それで思い出したのだけけれど、〈横浜で少年による浮浪者殺しが起こった際、普段は時事問題から距離を置いていた澁澤が強い怒りを表明した〉というような記事をどこかで読んだ。

なにがどうと論理的に説明できないんだけど、非常に腑に落ちる感じがあった

これが駅員とかコンビニ店員とかだったら「澁澤が怒りを表明」ってことにはならなかったんだろう。


感動的だったのは手塚治虫。最期の言葉が「仕事をさせてくれ」っていうのが泣ける。

あとは森茉莉の部屋が随分汚そうなので、部屋が汚い仲間として安心した。古新聞が溶けて原型をとどめてない部屋で「甘い蜜の部屋」とか書いたわけだ。

それと永井荷風。みじめな老境なのだろうけど、考えてみれば誰に迷惑をかけるわけでもない「みじめさ」とか「寂しさ」とかをまるで罪悪のように語るのは妙な話だ(荒俣氏がそういう風に語ってるわけではなく、一般的傾向として)。

別の本を読んでいて、昔は「寂しさ」の価値が今ほど低くなかったことに改めて気づいたので、ちょっと気になる部分。

まだ全部読んでいないけど、「図巻」とかぶる人物が多い。山田風太郎の方があっけらかんとしていて好みではある。



* * *


久しぶりな時間帯にテレビをつけた結果、久しぶりにSもとM明を見た。

ああいう顔つきはいつかどこかで見たことがある。なんか、中身を外に出してカラにしてある、みたいな。

ああいう表情をしている時の人は何かに怯えているんだと思う。

知話喧嘩

「男と女」に出てたのはアヌーク・エーメだったかな。
アヌーク・エーメを初めて見たのは「モンパルナスの灯」。一時、なぜかジェラール・フィリップの映画を見まくった中の一本。
エーメが「愛されし者」という意味だとどこかで読んだことがある。
本当かどうか確認してない。本当じゃなかったらがっかりするからそういうことにしておく。
違ったってこの語感は素晴らしい。アヌーク・エーメ。舌が口の中でエロい動きをする。
しかしアヌーク・エーメ自身はなんとなく石田あゆみを思わせる。私だけか?


新しく職場に来た男性は二つ年下なのですが、こんなに子供でいいのかな?と思うことがある。
社内・社外でいろいろ喋ってから、彼は子供なのではなく子供に見せているのだろうと考えるようになった。その方が女性の先輩に受けがよいと信じているんだと思う。
男性が子供っぽく感じられる時は大抵こういう思考停止か単なる怠惰の結果なんじゃないかな?(そう思いたい。)
どちらにせよ、女性が年配の男性の上司にバカの振りをして見せるのと同様、必要なんだろうけど素晴らしいやり方とは言えない。


私の知っている同世代の女性の半分とは(私が考えるところの)知的な話で盛り上がれる。
男性とは三割以下だ。
私か男性のどちらかが実際以上にバカな振りをするから、(雰囲気だけでも)知的な会話がなりたたないのだ。
そして男は女を「あれらはバカだから高尚な・マトモな・論理的な話の相手にはならない」と断じる。周囲の女性を観察する限り、女性側でも同じことが起きている(ということを相手の男性は知っているのだろうか?)。
なんという不幸。
結局、私の好きな男性は「一緒にいて楽」とか「安心できる」ことが第一条件になっている気がする。私は男の知性というリソースの恩恵に十分に預かっているとは言えない。
本当は知的な痴話喧嘩をしたいのに。


N・ホーソーン, 柴田 元幸, 青木 健史
ウェイクフィールド / ウェイクフィールドの妻
理由もなく失踪し理由もなく帰ってきた夫と彼の妻の話らしい。まだ読んでない。

文化人ヘア

今テレビで見かける人で気になるのは茂木健一郎先生。

池田満寿夫が逝き、筑紫哲也のケープ度が下がり、安藤忠雄のメットがフルフェイスからハーフタイプになった今、彼こそが文化人ヘアの最先端。

脳関係には苫米地博士という強力なライバルもいて、目が離せない。


書きながら思い出したけど、私はずっと郡司ペギオ幸夫さんのことをその名前からブラジルかペルーの日系の方だと思っていた。

ペンギンとは。

新しい人たち

序列が厳しく、三年生と一部のゴマスリ上手な二年生でなければ試合には出してもらえない某運動部。
ある時、他校から転入してきた二年生部員L君が最新のトレーニングマシンを持ち込んだ。
めきめき力をつけるL君だが三年生は「キカイを使うなんて反則だ」と無視。
逆に「Lのやつ調子にのりやがって」「いつかギャフンと言わせてやる!」と評判が悪い。
やがてL君や彼に触発された一部の二年生は全国クラスの実力をつけ、部も長い低迷期を脱するかに見えた。

しかしその時…
三年生の一人がL君をドーピング疑惑で告発。
L君は退学処分、何十年ぶりの全国大会出場は夢と消えた。
「ほらな、やっぱり最新技術なんてのは当てにならない。昔ながらの走りこみと兎跳びが一番だ。おい二年、あの妙なキカイは捨てとけよ。おまえらボーッとしないで走れったら走れ」
涼しい日陰に座って二年生たちに買ってこさせたジュースを飲む三年生を見ながら、「やっぱり全国大会なんかムリだったんだ。まあいいか、再来年になったら僕らもラクができるし…」と考える一年生たちであった。



という話?

ドーピングは罰せられるべきルール違反だし(ルール自体が公正かどうかは常に確認されるべき)、走りこみや兎跳びは基本的に重要だと思うけど、一年生の前でそういう見せしめってどうなの、三年生?全国大会はどうするの?こんなんじゃ新入部員なんか入らないよ!と文化系帰宅部は思うのでした。

だれが本をころすのか

こういう論調は珍しくないけど、評者が気になったので。

今週の本棚:鹿島茂・評 『脳内汚染』=岡田尊司・著


(※リンク先が消えたのでGoogleキャッシュです)

私はまったくゲームをしない人間だしインターネットも仕事80%娯楽20%程度のライトユーザー(?)なので、自分を悪く言われた気がして反発するのではない。(そもそも対象になった本を読んでないし)

心配なのは、鹿島先生のことだ。

子供時代、親に本の虫、本キ○ガイ呼ばわりされていた私の立ち位置はゲーマーよりは鹿島先生の方に近いと思う。

この書評の「ゲーム」を「書物(読書)」に入れ替えてみよう。(評者の言葉「原著からの引用」


著者がむしろ強く危惧するのは、じつは、書物のこうした内容そのものではない。一番恐ろしいのは、書物を読んでいると脳内にドーパミンが大量に放出されて快感が引き起こされ、麻薬と同じような効果がもたらされることだ。つまり、やめたくてもやめられなくなるのだ。

今は残念ながらそれほどでもないが、若い頃は一日4、5時間を読書に割いていた。そうすると1ページもめくらない日は落ち着かない。よく「この子は手元に本がなければティッシュペーパーの箱の裏を読んでいる」と笑われたものだ。


「ずっと飽きが来ないほどに、エキサイティングなものとなった書物は、逆に極めて危険なものとなってしまったのである。なぜなら、ずっと飽きが来ないほどにわくわくし興奮するとき、脳で起きていることは、麻薬的な薬物を使用したときや、ギャンブルに熱中しているときと基本的に同じだからである。子どもにLSDやマリファナをクリスマス・プレゼントとして贈る親はいないだろう。だが、多くの親たちは、その危険性について正しく知らされずに、愛するわが子に、同じくらいか、それ以上に危険かもしれない麻薬的な作用を持つ『読むドラッグ』をプレゼントしていたのかもしれない」

私も最初の本は親から与えられ、小学校に上がる頃には書物に親しんでいた。そしていつしか自分から親にねだるようになり、やがて文字でさえあれば学級文庫だろうがPTAのおしらせだろうが聖書だろうが何でもいいから読ませろ!という状態に…。


だから、読書も時間を決めてやればいいという議論は、麻薬でも少量ならかまわないという議論と同じく、成り立たないのである。しかも、戦慄すべきことに、読書漬けになった脳は薬物中毒の脳と同じように破壊され、元には戻らなくなるという。

読書漬け。恐ろしいことばだ。確かに破壊されている気がする。時々考え事の途中で「ここにしおりをはさみたい」と思うことがあるがこれも症状だろうか。


また、長時間の読書耽溺で失われる時間の損失も深刻だ。家族や友人との接触の中で学習される人生体験がまったく積まれないことになるからだ。

…よく言われたなあ。「本なんか読んでんと外で遊んでき!」


「子どもの二度とない貴重な時間が、奪われていくのだ。(中略)だが、中毒状態になりかけの子どもは、もうそのことしか頭になく、いくら保護者が注意し言い聞かせても、自分で行動をコントロールすることは非常に困難なのである」

…なんか悲しくなってきた!

余談ですが「子どもの二度とない貴重な時間」というような表現はよく見かけるけど、「中年の二度とない貴重な時間」だって気にしてあげてほしいと思ったりする。ホント、大人に厳しい世の中ですよ。


まったく、幼少期~思春期の私にとって本は麻薬だった。「男子より本が大事と思いたい」ぐらいの勢いだった。

なので、仏文は専門外ながらも鹿島先生については「本関係のすごい人」として遠くから敬意をもって見ていた。

ある意味、昔ながらの「ぎりぎり社会に適応しているコレクター」的な部分が立派だと思っていたのだ。

(私の経験では、「書痴」レベルの本好きが他のマニア/コレクター/オタクに比べてより社会性が高いとか人間性が豊かだということは、まったくない。)


要するに旧来のメディア側の新しいメディアに対するアレルギーであり、そして結局は「オタクはオタクが嫌い」というやつなんじゃないかとさえ思えてくる。

硬派な鉄オタは美少女オタとひとくくりに「オタク」呼ばわりされることに抵抗があるだろう。逆にある意味サブカルチャーのエッジにいる美少女オタの中には古色蒼然たる鉄オタを「あれはちょっとなー」と思っている者もいるかもしれない。もちろん、両方を兼任している猛者も少なくないはず。

鹿島先生は単に本オタとゲーオタを兼ねていない、というだけのことではないかと。

そして、こういう同士討ちみたいなのは、結局野村総研のネタにしかならないんじゃないかと。


対象の本を読まずに書評を評するというのもひどい話ではありますが、私が関心あるのは鹿島先生なので多分岡田氏の本は読まないと思う。

僕の名前は青いカナリア、L-I-T-Eってつづるんだ

後ろに反れば痛めた腰がギシギシいう。

前に屈めばジーパンの上に肉がのる。

とかくこの世はやりにくい。


寒くなってきたので去年買った服を出した。

着てみる。キツい。

こんなとき、母の名言を思う。

「これ、私の服じゃない」

私の体を拒むような服は、もはや私の服ではない――さすがだ。



女は心に荒野を、腹に脂肪を飼っている。

そして魂には青い鳥が住んでいる。




 僕はきみのただひとりの友だち

 僕はきみのただひとりの友だちじゃない

 僕はちょっと熱烈な友だち

 とかいってホントはきみの友だちじゃない

    *

 スイッチのとこにいる青いカナリアが

 きみのことを見てる

 心の中に小さな巣箱を作っておいて

    *

 (そしてきみがそのことを考えている間は

  心の巣箱につけた灯りを

 消さないでいて)


They Might Be Giants / Birdhouse in your Soul

適当に訳してみました。

来年はダイエットと英語の勉強をすることにします。


They Might Be Giants
Flood

新本格きのこブーム

その後のSPAM事情。


件名:本格な出張ホスト大募集


やっぱり本格な出張ホストはアリバイ固めが細心だったりするんだろうか。

変格な出張ホストとの間に軋轢があるんだろうか。

社会派ホストが一世を風靡したりするんだろうか。

来るべき新本格出張ホストブームに向けての大募集なんだろうか。



秋だからというわけではないが、今ちょっとしたきのこブームが(私にだけ)到来している。

いや、私にだけということはないはず。

なにしろ千葉県立中央博物館 では大々的にきのこイベントを催しているからして、千葉では空前のきのこブームが到来しているはずだ。マリーンズも優勝したことだし(残念ながら「きのこの山」は他社製品だが…)。

ありがちな反応ながら、「さわってみよう!やってみよう!(冬休みスペシャルイベント)」が気になる。


渡辺 隆次
きのこの絵本

きのこ本は何冊か持っているが、これはかなり前に買ったもの。美しい表紙が出ないのが残念。

山里に隠棲する画家のきのこエッセイとスケッチで、Amazonの読者レビューにもあるとおり、ストレートな自然観察というよりは文学味が濃い。

種村季弘による解説がいい。「居候」というキーワードで著者ときのこをつなぐあたりがさすがの種村節。

ま た 大 阪 です!―『モダン道頓堀探険』

出身地を聞かれれば「大阪です」と言う。その時、内心ちょっと複雑ではある。
・大阪「府」であっても大阪「市」ではないのに「大阪人」ぶっていいのか?
・この人は大阪にネガティブなイメージを抱いていないだろうか?
・ここはやっぱり大阪人らしくふるまってあげるべき?
いちいちマジメに考えやしませんが、堂々と「大阪ですねん」とは言えないせいか、生粋の大阪人への憧れがある。
コテコテ、でんねんまんねん、タイガース、ひったくり、違法駐車…そんな「お約束」と、大阪の街をうろつく実感との齟齬は今さら言うまでもないが(違法駐車は事実ですが…)、大阪人の側から「お約束」に擦り寄っていくのはいかがなものかというのが常日頃の不満。


橋爪 節也
モダン道頓堀探検

道頓堀。いきなり「ど」から始まる語感からして泥臭い。
それをd'Automne-boriとやってしまう感性が全ページに染みわたっている。
大正時代の雑誌「道頓堀」に描かれたイラストに沿って、大阪生れの学芸員を中心とした探検隊がそぞろ歩き、薀蓄をかたむけ、失われた輝きを惜しみつつ駄洒落を飛ばす。
芝居と寄席、魚すきと沖すき、大阪式うなぎ調理法、谷崎潤一郎と半衿、洋画家と出版文化、小林秀雄とモーツアルト、カフェとジャズ…。
まだ残っている店も僅かにあるようだが、ほとんどは消えてしまった。まったく、ウタカタノゴトシである。

余談ながら、少し前までは中学生時代の編者が通ったという天牛書店 の支店がアメリカ村にあって、私が小学生の頃たいそう熱心に立ち読みしていたと親は言うのだが、まったく記憶にないのが残念。高校生になって江坂の店に通ったのはよく覚えている。


新聞に連載されたコラムなので、調査はしっかりしていても文章自体は堅すぎず、いい感じにユルい。
悪ノリすれすれの遊びと個性豊かな五人の隊員が交代で書く形式が読みやすく楽しい。
どのページにも明治・大正・昭和初期の貴重な図版・写真がふんだんに使われていて満足度高し。
最近は近代建築ブームとかで大阪でも戦前から残る建物を見学したり撮ったりするのが流行っている。道頓堀の「モダン」はそこまでスマートでクリーンではないかもしれないけど、モダン趣味に関心があるなら大阪嫌いでも買って損はない一冊。
(モダニズム好きな方には同編者の「モダン心斎橋コレクション」も。デパート、洋品店、カフェなどなど、大量のカラー図版にヨダレ必至。)

編者は「宗右衛門町篇」も構想中とか。ぜひぜひ出版していただきたい。
そごうも再開したことだし、せっかくの「大大阪80周年」、この勢いが失われないことを祈る。




橋爪 節也
モダン心斎橋コレクション―メトロポリスの時代と記憶

センサス

ヘンリ・ミラー, 大久保 康雄
北回帰線
ヘンリー・ミラー, 田村 隆一
オプス・ピストルム―’30年代パリの性的自画像

それはセクサス。

というか画像は『北回帰線』。『セクサス』はamazonに登録がなかった。

下の方はなんとアダルト商品扱いだった。富士見ロマン文庫はアダルトで、メイドカフェはコドモ入店可だとしたら…あ、正しいのか。

そういえば昔、木屋町にSEXUSというラブホ(?)があった。まだあるのかな。地下にクラブがあるの。



国勢調査が実施(であってる?)されている。

最近「一般市民」がプライバシーに敏感になっているので調査員が大変だという噂。

「一般市民」は黙って書いてりゃいいんだよと言わんばかりの調査項目を見れば拒否する人が増えるのも不思議ではない。

とはいえ「国民の義務なんだから拒否する奴はアホ、非国民」「そんなに後ろめたいことがあるのぉ?」という論調も例によって根強い。

後ろめたいことがまったくない大人がいるならぜひ会ってみたいものだ。

それはともかくとして、「隠したい」というより「雑に扱われて漏れるのでは?」という不安が拒否に繋がっているケースが多いだろうから、そういうツッコミは無効ではないかと思う。

個人情報保護法施行から今回の国勢調査まで、役所の側が対応(あるいはエクスキューズ仕込み)する時間があまりにも足りなかったのではないかと想像する。

聞くところによると調査拒否に対する罰則はあるが一度も適用されたことはないとか。

密封したのに調査員が無断で開けたという報告が後を絶たない(事実かどうかは私は知らない)から、あっちを罰したらこっちも、になっちゃうし…ってとこかな。


【追記】

ウチには『セクサス』の単行本があったはず…と気になって書き忘れていたことを。

●調査員の選考・教育にさほど手間をかけられない、しかし彼らは(非常勤)公務員なんだからとにかく信用せよというのなら、裁判員のように義務にしてはどうだろう。

「もちまわり」でやれば国民の意識が向上し調査員と市民の摩擦も少しはマシになるのでは…というのは夢見がちすぎ?

●オフィシャルキャラクター(?)のセンサスくん。あれはどうにかならなかったのか?

というか私なら「センちゃん」「サスケ」の二人組にする。まあこれもどうかと思うけど。

それか「秘密戦隊センサス5」とか。♪世帯主を追いかけろ~基本は直接受け渡し~ (サビ)統計統計!個人情報ぶっとばせ~(セリフ:名簿屋?なにそれ?おいしいの?) 秘密厳守で今日も行く センサスセンサスセンサスファイブ~♪

とりあえずセンサスイエローは肥満体。

アンダーザウィロー

私は前から下柳が好きだったんですよ。
昨日今日の話ではない。
まあいいんですけど。

スパムスパムおいしいスパム♪…ではなくて広告(迷惑)メール。
私は忙しい忙しいと言う割には暇人なので、SPAMの件名を逐一チェックしたりする。
最近何通か続けて来たのが「突然すみません。私の妻を○して下さい」。
あ、○は「犯」です。一応伏せてみたら却っていかがわしくなってしまった。
「私の妻を任して下さい」とかだと面白い。妙に自信満々な夫。
ていうかお宅のヨメやん!知らんわ!

今のところたまにチェックするアドレスにしか届かないので笑っていられるが、携帯電話に来たら私もやっぱり怒る。
世の中の99%のマトモな人間にとっては真剣に迷惑なのでいい加減にしたほうがいいと思う。
そのかわり、変なメールをときどき送ってくるサービスを始めてはどうだろうか。
「私の妻を倒して下さい」@天下一武道会。
1 | 2 | 3 | 4 | 最初次のページへ >>